プリキュア騒動

長女がプリキュアの絵本を読んでいた。

もう3歳半なので、そういうものに興味関心が出てくる頃である。

ちなみに、最近は就寝前にAmazonプライムで無料のアニメや映画を視聴させており、

これまで初代プリキュア初代ウルトラマンポケモン、忍者ハットリくんぼのぼのなどを見せてきたが、最近のブームはもっぱら「ここたま…フルタイトルは覚えていない」と「ピカッと発明…これもタイトルが覚えられない」であり、初代プリキュアはメインキャラが2人だけということもあり、話も長いため飽きて見なくなってしまっていた。

 

ところが、義母からもらったのかプリキュアオールスターズだいすきずかん①という絵本を読んでから、「いっぱいプリキュアが出るやつ見たい」と懇願してきた。

 

そこでプリキュアの映画なら歴代キャラクターが登場すると思い、いくつかある中で目に付いた映画をポチっとしてみたが、子供が「これとおんなじプリキュアおらへんの?」と聞いてくる。

 

あらためて映画のタイトルを見てみるとHUGっとプリキュアに加えて初代プリキュアしか出てこない仕様のようで、子供の絵本は少し古い世代のものでギリギリ、HUGっとまでは追いついていなかった。

 

自分の絵本に載っているような面子が出てこないので子供としては面白くなかったらしい。

 

仕方なく、他の映画(スマイルプリキュア)に切り替えると、絵本に載っているシリーズだったので喜んでいた。

 

ちなみに、「プリキュアかっこええなぁ」と声をかけると、「違う!かわいいんや!か・わ・い・い!」とすごく怒鳴られた…(笑)

 

以上、ジェネレーションギャップ…の話というか、プリキュア騒動でした。

〇〇怪談集(河出文庫)について

 3ヶ月くらい前の話だが、河出文庫から「ロシア怪談集」という本が発刊されるのを知って購入した。表紙の絵にインパクトがあり惹かれたことが購入のきっかけである。

 

 そのすぐ後に、他にも「アメリカ怪談集」「イギリス怪談集」「中国怪談集」「日本怪談集~取り憑く霊~」「日本怪談集~奇妙な場所」なるものがシリーズで存在することを知って一気に購入してしまった。

 

 発刊日をよく見てみると、最近新装版として出版されたもので、初版は1989年であることが分かった(ホラーって昔からあって、今読んでも違和感なく入り込めるのが凄いなぁ)

 

 まず、アメリカ怪談集を読み始めて見たのだが、驚いたことに文字がとても小さく読みづらかった。私はいまも裸眼で生活できており、最近でこそ仕事で常にコンピュータに向き合っているため、少し目のかすみや疲れが見られることがあるが、決して視力は悪くないほうである。

 

 しかも、内容が慣れ親しんだ日本の文化からかなりかけ離れているせいか、結構な想像力を働かせないと時代背景や登場人物の心情が読み取りにくく、いつもなら読み始めると眠くなるまである程度は読みすすめてしまうのだが、今回の相手に関しては数ページで断念してしまった。

 

 似たような経験は高校生のときにもあった。

 

 当時、角川ホラー文庫というシリーズにハマってしまい、代表作でいうと鈴木光司「リング」「らせん」(3部作完結編のループは当時文庫化はされていなかったと思う)や、他にも貴志祐介の「黒い家」「クリムゾンの迷宮」「十三番目の人格イソラ」など現実逃避にもってこいの名作が多かったため、角川ホラー文庫であればどの作品も見境なしにブックオフで100円で買ってきて読み尽くしたものだった。

(もちろんその中にはハズレ作品もあったが、それは決して駄作というわけではなく、その作風が私の趣味に合わなかっただけで好きな人はもちろん好きであろうものには違いなかった)

 

 話は逸れたが、読みづらい本で言えば、角川ホラー作品の中でも、翻訳された海外作品「トリックスター」や「ブレアウィッチファイル」など、海外が舞台となっているものは基本的に読破するのに膨大な時間がかかった。

 

 中でも「フランケンシュタインの子供たち」という、フランケンシュタインにまつわる短編集については結構面白かったが、それぞれ作者によって作風が異なるので、一日あたり一話読むなど休憩を挟みながら読まないと、世界観の違いように頭がおかしくなりそうだったのを覚えている(当時は一般常識的な知識が乏しく、また海外文学を読み慣れていなかったせいで抵抗感があったものと思われるが…)

 

 以上、まとまりがなく思いついたことをつらつらと書いてきたが、結局何が言いたかったのかというと、やっぱり日本文学が好きだということだ。上記のアメリカ怪談集を一時中断(今も中断中だが…笑)した後に、「日本怪談集~奇妙な場所~」を2話ほど読んだが、まぁ面白いのなんのって。

 

 少しネタばれが入るが、一話目は日影丈吉の「ひこばえ」という作品。ひこばえと言う言葉をはじめて聞いたため、最初はなんのことか分からずに読んだが、内容的にはよくあるホラーの展開。日常がある日をさかいに非日常に変わっていく、それに気づいてからは事態がもの凄いスピードでラストまで一直線に駆け抜けるというもの。

 

 サブタイトルが「奇妙な場所」というだけあって、おそらく収録中の全作品がなんらかの場所を起点に物語が展開するものと思われる。例えばひこばえに関しては「人気(ひとけ)が感じられない家」が起点である。

 

 二話目の筒井康隆の「母子像」はこれも「家」と「ある玩具」がポイントとなっているのだが、最近読んだ別の短編集「異形の白昼 恐怖小説集」にも同じ作品が収録されていることから、おそらく有名な作品なのだと感じとれる。

(これに関してはホラーの中では、まして私にしては珍しく、ラストの展開が容易に想像できた作品である。ただし結果が分かったからと言って決してつまらないものではなく、やはり筒井先生の表現力は素晴らしいもので相変わらず満足する出来栄えだった

 

 以上、ホラー作品に関する無駄話であったが、私の人生の中でホラーは切っても切れないものであり、細かく数えたことはないが、これまでに100作以上は読了していると思うので、また機会があればマニアックな作品、お気に入りの作品など紹介したいと思う。

 

 

録画番組の解消に向けて

 皆さんご存じのとおり、最近のテレビはHDDをUSBで接続するだけで簡単に録画することができるので非常に便利である。

 

 しかし、便利であるが故に気になった番組を片っ端から録画し、結局見る時間も気力もないまま、年末になって大量に削除するという悪循環を引き起こしてしまっているのは悲しいことだ。

 

 ひと昔前であれば、ビデオテープ(VHS)というものが録画の主流で、標準録画であれば120分、3倍録画であれば360分録画することができたと記憶している。

 

 今から思えばビデオ録画をフル活用したのは小、中学生の頃で、約20年以上も前の話のことである。何と月日が経つのがはやいことか…。

 

 我が家では数年前からタイムシフト録画機能を備えたテレビ(レグザZシリーズ)を使っている。これはなんと任意の6チャンネルを約1週間分まるまる録画できるという優れものだ(今では当たり前なのかもしれないが…)

 

 このタイムシフトマシンにかかる設備投資に当たって、テレビ本体よりもHDD(通常録画用&タイムシフト専用)のほうが価格が高いというのに当初は驚いた…。

 

 あと、機器の使用頻度であるが、タイムシフトマシンを購入当初はフル稼働(24時間×7日間)というブラック企業もビックリな使い方をしていたせいか、最近は録画していても途中の数秒録画できていなかったり(CDでいう音飛びみたいな感じ)、そもそもテレビモニターが映らなかったり(音だけは聞こえる)、テレビなのにラジオ状態で使用するシーンが結構多く、見たい時に見られないストレスを少し感じている今日この頃である。

 

 (上記でタイムシフトのデメリット的なことを羅列してしまったが、普通の録画機器と異なり、自動的に全チャンネル(任意のチャンネル)を録画してくれるのでニュースの気になるところだけピックアップして見るのにはとても便利である

 

 ここで、どうして人は自分が視聴できる限界を超えて録画してしまうのか、録画した番組を消費せずに溜めてしまいがちなのかを考えてみたい。

 

 まず、原因の一つは冒頭にも挙げた、簡単に録画ができてしまうという環境。今は連ドラ予約というものがあり、連続ドラマや、ドラマ以外でも週に一回放送するような番組(毎日放送する番組でも)も毎回録画できてしまうという優れた機能がある。

 

 こうなると例え毎週見ることはなくても、自動的に全話録画が可能となり、昔みたいに「月曜日の夜9時には家に帰ってテレビを点けなければいけない」みたいな焦りは無くなり、「よっしゃ、暇な時に一気見してやるぞ!」と楽しみが増えるのである。

 

 ただ、これは買い物症候群と同じようなものだと思う。その時は欲しいと思って購入するのだが、いざ買い物袋を持って家に帰ると、その後買ったものを開封することがない。さらに下手をすると買った事実さえ忘れてしまうという事態に陥ってしまう。これと同じようなことだと思う。おそらくこれは一種のストレス発散であり、その時は楽しみで見たいと思って録画するも、結局録画することで満足してしまい。その後は全く手つかずとなり負の遺産以外の何物でもなくなるのである(少なくとも自分の場合はこれに該当する)

 

 では、どうすればこういった事態を防ぐことができるのであろうか?

 いや…一見するとこれは負の遺産を増殖してしまう無駄な行為に思えるのだが、これはむしろストレス解消に一役買っているので無駄な行為とは言い切れないのではないか?

 

 であるとすると、録画する行為まではOKで、問題はその後である。

 結局、録画したものを1秒も見ることなく終えるのであれば、いつ削除するのか…どうやって見切りをつけるのか…一定のルールを作るのがよいと思う。

 

 例えば、「1ヶ月一度も再生することがなければ思い切って消してしまう」とか「HDD容量が50%を切ったら強制的にいずれかの番組を削除して50%以上の容量を空けなければならない」など自分なりに実行しやすいルールづくりを行うのである。

 

 私の家の場合は、録画番組を溜めてしまうと怒る人がいるので、ある程度溜まった時点で強制的に削除することになるのだが(笑)

 一度勝手に消されたこともあるし、HDDの不具合で全部消去されたこともある。

 

 もしかすると、アダム・スミスの「神の見えざる手」のように家庭の平和を守るために自動調整機能が働いたのかもしれない(笑)

 

春の日差し

 こういう日記というか記録はもう何度目になるかわからないが、紙媒体でも、他のブログサイトでも1週間も続いた試しがない(PSのゲームに関してはプラチナトロフィー獲得するまで根気強い一面があるのだが…苦笑)

 

 しかし、人間は同じ過ちを繰り返す生き物なのか、それとも自身の学習能力が著しく低いのか理由は不明だが、またこうして今回も過ちを犯そうとしている。

 

 とはいっても、意味もなくこんなことをしているのではないと思いたい。

 …というのは、年を取ってからの記憶力が鈍くなっているためか、記憶がどんどん薄れている気がするのだ。

 

 下手をすると酒を飲みながら暇つぶしに見たゴールデンのテレビ番組(バラエティ)やAmazonプライムなどで配信している映画やアニメなど、その時は面白くて笑ったりしたが、後になって「あーそういえばそんな番組見たっけなぁ」とふと思い出すことがあっても、細部の記憶はおろか、大部分の記憶が思い出せない場合が往々にしてあるのだ。

 

 特に最近はひどいことに、夜中寝る前に過去に見たテレビや過去に読んだ本(過去といってもここ3ヶ月以内くらい)の内容を思い出そうとするのだが、最も印象にあるシーンだけ記憶が鮮明で、その前後に何があったか、どういう順序でストーリーが組み立てられていたかが全く思い出せないことが本当に多くモヤモヤする。ひどい場合は翌日の仕事中、忙しさから解放されたほんの一瞬、そのことが脳裏をよぎり、さらにモヤモヤすることがある。

 

 もしかしたら、それが何だったのか詳細を思い出す必要はないのかもしれない。

 大事な記憶を整理するために脳が勝手に不要な記憶を削除しているのであれば、「脳さんいつもありがとう」と感謝して済む話なのだが、たとえ成り行き(惰性)であっても自らが選んで視聴した面白かった番組の記憶、楽しかったときの記憶が残っていないというのはあまりにも悲しすぎる。

 

 よって、今回少しでも記憶に留めておこうとしてこの記録作業に至る。

 さて、いまふと思ったのだが、このように記憶をいくらアウトプットしようとも、記録したことを後で見返すことができる仕組みがあったとしても、脳が必要ないと判断した記憶は…映画などを鑑賞したときに感動した瞬間の気持ちの高まりなどは…100%再現することができないのであろうなと少し寂しくなった。

 

 にしても、今の思い出せないこのモヤモヤが一生続くことを考慮すれば、こうやって少しでも記録しておき、「もし前にあった出来事が気になった場合は後で振り返ることができるのだぞ」という保険があることは多少なりとも心強いと思えるのではないか。

 

 もしかしたら、明日以降更新が途絶えることも考えられるが、とりあえず今日はここまでにしておく。