春の日差し

 こういう日記というか記録はもう何度目になるかわからないが、紙媒体でも、他のブログサイトでも1週間も続いた試しがない(PSのゲームに関してはプラチナトロフィー獲得するまで根気強い一面があるのだが…苦笑)

 

 しかし、人間は同じ過ちを繰り返す生き物なのか、それとも自身の学習能力が著しく低いのか理由は不明だが、またこうして今回も過ちを犯そうとしている。

 

 とはいっても、意味もなくこんなことをしているのではないと思いたい。

 …というのは、年を取ってからの記憶力が鈍くなっているためか、記憶がどんどん薄れている気がするのだ。

 

 下手をすると酒を飲みながら暇つぶしに見たゴールデンのテレビ番組(バラエティ)やAmazonプライムなどで配信している映画やアニメなど、その時は面白くて笑ったりしたが、後になって「あーそういえばそんな番組見たっけなぁ」とふと思い出すことがあっても、細部の記憶はおろか、大部分の記憶が思い出せない場合が往々にしてあるのだ。

 

 特に最近はひどいことに、夜中寝る前に過去に見たテレビや過去に読んだ本(過去といってもここ3ヶ月以内くらい)の内容を思い出そうとするのだが、最も印象にあるシーンだけ記憶が鮮明で、その前後に何があったか、どういう順序でストーリーが組み立てられていたかが全く思い出せないことが本当に多くモヤモヤする。ひどい場合は翌日の仕事中、忙しさから解放されたほんの一瞬、そのことが脳裏をよぎり、さらにモヤモヤすることがある。

 

 もしかしたら、それが何だったのか詳細を思い出す必要はないのかもしれない。

 大事な記憶を整理するために脳が勝手に不要な記憶を削除しているのであれば、「脳さんいつもありがとう」と感謝して済む話なのだが、たとえ成り行き(惰性)であっても自らが選んで視聴した面白かった番組の記憶、楽しかったときの記憶が残っていないというのはあまりにも悲しすぎる。

 

 よって、今回少しでも記憶に留めておこうとしてこの記録作業に至る。

 さて、いまふと思ったのだが、このように記憶をいくらアウトプットしようとも、記録したことを後で見返すことができる仕組みがあったとしても、脳が必要ないと判断した記憶は…映画などを鑑賞したときに感動した瞬間の気持ちの高まりなどは…100%再現することができないのであろうなと少し寂しくなった。

 

 にしても、今の思い出せないこのモヤモヤが一生続くことを考慮すれば、こうやって少しでも記録しておき、「もし前にあった出来事が気になった場合は後で振り返ることができるのだぞ」という保険があることは多少なりとも心強いと思えるのではないか。

 

 もしかしたら、明日以降更新が途絶えることも考えられるが、とりあえず今日はここまでにしておく。